Top>向学新聞21世紀新潮流>合成性フェロモン


合成性フェロモン 


農薬を使わずに害虫駆除  自然のバランスを回復させる


 今月は、「合成性フェロモン」を開発した信越化学工業株式会社の、有機合成事業部ファインケミカル部・小倉浩一氏にお話をうかがった。


対象害虫だけをコントロール


――合成性フェロモンとはどのようなものですか。
 小倉 動物が同種の他の個体に働きかけるために体外に分泌する化学物質をフェロモンといいますが、「性フェロモン」は、交尾のためメスがオスに所在を伝える通信に使われます。交信攪乱剤とは、農業害虫の性フェロモンを人工的に畑一面に虫にとって非常に濃い濃度で漂わせて害虫が交尾できないようにし、作物に被害を与える幼虫の発生を抑えるための製剤です。
 弊社が開発したのはチューブ状の製品で、そのまま樹木の枝にぶら下げれば、フェロモンが表面から蒸発してきます。使用量は1ヘクタールあたり数十㌘とごく微量で、開発当初のスプレーによる散布方式よりも安定した効果が得られ、一シーズンに一回の使用で済むためにトータルコストでも使いきりの農薬より安くなります。主な用途は茶や果樹、野菜や綿花などで、害虫の種類にあわせて国内では12種類の製品を送り出しています。
 合成性フェロモンは、虫がもともと持っている成分を人工的に合成していますが、化学的に見ても非常に安全性が高いことが確認されています。基本的には水素と酸素と炭素の組み合わせですから容易に分解しますし、農薬で問題が生じる可能性のある残留問題もありません。そして何よりも、従来の農薬が良い虫も悪い虫もみな殺してしまうのに対し、対象となる害虫だけをコントロールできるという点が大きな特長です。
 今までの農薬を用いた害虫防除における矛盾点の一つは、自然のバランスを崩してしまうせいで害虫をむしろ増やしてしまう場合があるということです。例えばりんご葉ダニなどは普通、ダニを食べるダニなどの天敵によって数が問題にならないようなレベルに抑えられています。しかし強い薬がまかれ、農作物には直接被害を与えない天敵まで殺されてしまうと、ダニが増えてきます。そのダニに対しても農薬をまくという悪循環が繰り返されるわけです。いったんバランスが崩れると、連鎖的に崩れて行ってしまいます。
 また、何度も同じ農薬を使っていると、害虫は抵抗性を持ちます。そうするとさらに農薬を濃くしたり複数回撒いたりして同様の悪循環に陥ってしまいます。例えば中国の綿畑などでは農薬の撒きすぎで、もういくら撒いても害虫を防除できなくなり、作ること自体をやめてしまった例もありました。


自然界が持つ力を活用

――自然が本来持つバランスを見直すべきですね。
 小倉 その意味では天敵はむしろ益虫と言ったほうがいいかもしれません。ヨーロッパでは天敵を畑に放して農薬の代わりに使うという発想で、人工的に天敵を飼育する会社がいくつもあります。それも害虫駆除の一つの方法ではありますが、われわれが打ち出している総合防除(IPM、Integrated Pest Management)の理念は、崩れてしまっている生態系のバランスを回復させることこそ重要だと考えます。普通に天敵が活躍できるような自然のサイクルを取り戻せば、いわば彼らがタダで害虫を駆除してくれることになるのです。
 もっとも、害虫の中には、天敵でも駆除できないものもいます。例えばピンクボールワームという綿の害虫は、綿の内部に入ってしまい、内部を食べてしまうのです。そうなると農薬でも防除しにくく、天敵も外にいますので天敵の活動も期待できません。まさにそういったものにこそ、合成性フェロモンは大きな効力を発揮するのです。
 このように、難防除害虫には合成性フェロモンを、その他のものには天敵を活用し、お互いに矛盾しない手法を総合的に組み合わせるのがわれわれが目指す総合防除の考え方です。健康指向の高まりでクリーンな農作物が求められる傾向が強まる中、合成性フェロモンを取り入れた総合防除は、自然界が本来持っている力を活用した新しい害虫防除法として期待を集めています。
 今後、さらに力を入れていきたいのが綿の分野です。綿への農薬の使用量はもともと多く、インド、パキスタン、中国などでは綿畑の面積が桁違いに大きいので、そのような地域で製品の普及を図っていきたいと考えています。