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天然物の全合成 


薬の副作用をなくすことが目標  自然に学び自然を超える


  今月は、世界で初めて4大抗生物質の「全合成」に成功した、早稲田大学の竜田邦明教授にお話をうかがった。


すべては全合成から始まる
――「全合成」とは何ですか。
  正確には「天然物の全合成」ということになります。天然に存在する物質はすべてある化学構造を持っていますが、それらを入手できる最小単位の原料(たとえば、ブドウ糖)から人工的に合成することをいいます。ある化合物の化学構造式を誰かが決めるのですが、それが正しいかどうかは誰も分からないので、実際にそれを作ってみるわけです。
  薬になる可能性がある物質は「生理活性物質」といい、人体の機能が低下したときに活性化させる物質です。現在まで私は91種類の天然生理活性物質(天然物)の全合成を達成していますが、うち85種類は世界で最初の全合成に成功したものです。抗菌力や抗カビ作用、神経が伸びたりコレステロールが低下したりする作用を持つものなどがあります。
  医薬品に応用されている抗生物質も生理活性物質のひとつであり、昔は自然界で見つかったものがそのまま薬になりました。結核や肺炎で死ぬ人がほとんどいなくなったのは抗生物質のおかげであり、これによって人類の平均寿命が飛躍的に延びました。私はこの20世紀の産んだ偉大なる遺産へのはなむけとして、20世紀中に4大抗生物質の全合成を成し遂げようと取り組みました。1980年代の抗生物質は主に4つの大きなグループに分類されましたが、私は2000年までにそれら4大抗生物質のすべての代表物質の全合成に、世界で初めて成功しました。
  成功したことの意義は、まず、それまでの化学の正しさが証明されたこと、そしてさらに、われわれが全合成を行って得た知識を使い、より性質の優れたもの(活性の強いもの)を有機合成で作ることができるようになったことです。私の「すべては全合成から始まる」という概念はここから生まれました。
  そもそも合成とは様々な分子の部品を組み合わせることですが、どの部分がどういう生理活性を持っているか見いだすことが大切なのです。例えば薬というものは、本来は一種類の活性だけを持つものでないと困るのですが、ほとんどの薬には何種類もの活性が混在しているため、副作用から完全に逃れることができませんでした。いずれか一つの強い活性だけを際立たせて相対的に副作用を抑えていたので、一定量を越えると副作用が出てきてしまうのです。特に、不幸にも催奇形性が発生した睡眠薬サリドマイドの事件以降は、必要な活性作用をもつ物質だけを合成できる技術の登場が強く待ち望まれていました。
  全合成研究によれば、天然物の化学構造の中で人間に必要な機能を持つ部分だけを最適な形で取り出すことができます。これを「活性分離」と呼んでいます。つまり必要な活性だけを取り出すことで、副作用のない薬の開発に挑戦できるようになったのです。私はこれまで抗生物質を2つ、制癌剤を1つ、糖尿病薬を1つ、計4つの新薬を市場に出すことに寄与しています。今後、有機合成を用いて薬の副作用をなくすことが、われわれの最終目標です。


愚直に何度も問いかける
――先生の研究開発にかける思いとは。
  人の役に立たないものは科学とはいえません。何らかの形で人類や地球のためになることをするのが科学者の使命であり、自分のためだけに基礎科学をしているようでは意味がないと思います。特に化学は非常に大きな力を持っています。公害を起こすのもそれを正すことができるのも化学です。化学だけが好きなように分子を動かせます。それは化学者の特権であると同時に、研究の目的を明確にする大きな義務もあると考えています。
  日々の研究は自然との「闘い」であり、ほとんど自然に殴られ続けているようなものです。太陽を西から昇らせることができないのと同じように、もともと人間が自然に勝てるわけがないのです。しかしあるとき、ふとしたきっかけを境に、物質が見事に自分の意図したとおり動くようになる瞬間があり、それが研究の成功につながります。その瞬間こそがこの研究の醍醐味です。
  ある天然物が全合成によって出来上がるまでには平均50ものとてつもなく長い工程がかかり、4大抗生物質の全合成などは最長で15年かかったものもありました。愚直に何度も問いかけてやることが必要で、それによって初めて「自然に学び、自然を超える」ことが可能になります。世界で最初に天然物の全合成を完成したり、新しい薬を世の中に出すということは世界新記録を出すということと同じで、精神力や体力、経済力のすべてを投入しなければなりません。そしてそれらを継続させることで、はじめて化学だけでなくすべての科学の進歩につながるのです。