ゴチェフスキ ヘルマン氏
(東京大学大学院 総合文化研究科准教授)
真の国際化には互いの尊重が必要 近さは大きなメリットに
――まず、先生の母国ドイツの大学での留学生受け入れや国際交流の状況についてお教えください。
ドイツでの国際交流を語るとき、日本やアメリカなどと事情が大きく異なるのは、EUという枠組みがある点です。ですからドイツでの国際交流は2段階になっていて、1つはEU内での国際交流、もう1つがEU以外の国々との交際交流です。またEU内の国際交流では、例えばドイツとオーストリアでは同じドイツ語が話されているので、他の外国との交流とはかなり違う状況です。EU各国は自国の言語を重視していますが、これも時代とともに変化しているようです。ドイツでは、私が教育を受けた時代では小学5年のときに、第一外国語を英語・フランス語・ラテン語から選択するようになっていました。その後、EUの拡大が進んで、スペイン語など選択できる外国語の幅が広がりました。「ヨーロッパ学校」というのが作られ、EU諸国の言語はたいてい学ぶことができます。
留学に関しても、EU内での交流を盛んにする多くのプログラムがあり、援助金も充実しています。現状は、留学生の受入れも派遣もEU諸国間がメインになっていますが、これにはEUの統一という大きな課題を抱えていることも関わっています。
――日本の大学のグローバル化には何が必要だとお考えですか。
今盛んにグローバル化が叫ばれていますが、私はグローバル化と国際化を同じものと考えてはいけないと思います。今のグローバル化の流れは、言語の伝統ある文化を消滅させていく傾向があります。各国、各大学で英語教育に力を入れ、他国の人々と簡単に意見交換できる言語があることは重要なことだと思います。ですが、大学で教えることも全て英語になり、学問が英語ばかりになると、一般の人々と学者のコミュニケーションがうまくいかなくなるのではないでしょうか。
例えばヨーロッパでは昔、ラテン語が現在の英語の役割を担っていました。私の専門は音楽学ですが、400年前にプレトリウスという音楽家によってラテン語で書かれた音楽史の専門書があり、今読んでもたいへんおもしろい良書です。ですが、彼はドイツ人なのに「本来は国内の多くの人々に読ませるためにドイツ語でも書くべきだが、一つ一つ翻訳するのは大変だった。いつか誰かがドイツ語で書いてくれたらありがたい」と述べているのです。当時、学者達はラテン語での読み書きが出来ましたが一般の人々は出来ず、ラテン語は限られた人々の言語だったのです。
大学の英語化が進むことで、実は現在でも同じようなことが起こっています。本来あるべき姿は、例えばドイツ人の学者が日本に来て、日本語での優れた論文を読むことができ、一般の人々とも会話し互いに理解ができる、一方で日本人の学者がドイツに行けば、ドイツ語での論文が分かり一般の人々ともドイツ語で交流ができるといった形だと思います。これが「国際化」ではないでしょうか。西洋音楽を研究する学者は、イタリア語・ドイツ語・フランス語・ラテン語・英語の5つは必修となっています。私の場合は韓国の学者と共同研究するのに韓国語を学びましたし、日本語での論文も書いています。このように、真の国際化には互いの文化や言語を尊重し学び合うことが必要だと思います。
――日本の大学に留学生を増やすにはどうしたらいいでしょうか。
ここ駒場キャンパスでも英語での新しいプログラムが導入されています。日本の大学に入るにはかなり高い日本語能力が必要で留学生には難しくなっています。ですから英語のコースを作ろう、という方向で動いています。ただ気になるのは、英語コースで入ってきた外国人と、日本人の学生同士が交流しているようにみえないことです。留学生にはしっかり日本語を学んでほしいですし、大学としても留学生の日本語力が上がるように体制をもっと整えるべきです。国際化のためにも、留学生と日本人学生が一緒に学び合う環境が必要です。そういった意味では、ここの大学院ではある意味理想的な交流ができていると思います。留学生が全体の4割ほどを占め、その大部分が韓国や中国などのアジア出身です。留学生は日本文学を研究し、日本人は外国文学を研究しています。EU内もそうですが、近いというのは大きなメリットです。近くの国々からまず留学生を受入れる、という考えもできるのではないでしょうか。
Hermann Gottschewski
音楽学者・作曲家。フライブルク音大のピアノ科卒業後フライブルク大学で哲学博士(音楽学)号を取得。ドイツのフライブルク大学・フンボルト大学の助教・講師を経て、2004年以来東京大学大学院総合文化研究科の助教授・准教授。専門は音楽学、研究領域は西洋音楽史等。
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