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クロマグロ完全養殖 


資源を増強する新時代の漁業  「魚飼い」の精神で社会に貢献


  今月は、クロマグロの完全養殖の研究を進める、近畿大学水産研究所長の熊井英水氏にお話をうかがった。


人為環境下で一生が一巡

熊井  寿司や刺身などの主役であるクロマグロは、日本の食文化に深く根付いている魚です。世界に存在する7種ぐらいのマグロのうち、クロマグロは魚体が最も大きく美味で、漁獲量が少ないため非常に高価です。
  近畿大学水産研究所では、このクロマグロの「完全養殖」の実現を目指して研究に取り組んでいます。従来の養殖は稚魚を海から捕まえてきて育て、ある程度大きくなった時点で出荷するものです。いっぽう、完全養殖は、親になるまで育てて産卵させ、人工的に孵化させてそれをまた親にします。そしてその魚体が卵を産み、人為環境下でクロマグロの一生が一巡した時点で完全養殖が成立します。われわれは2002年6月23日、世界で初めてクロマグロの完全養殖に成功しました。研究を始めて実に32年目のことです。
  研究の背景には、近年の漁業の活発化に伴う海洋資源の減少が挙げられます。クロマグロは1990年代初頭に絶滅が危惧され、常に漁獲規制の対象になってきました。完全に規制されれば鯨のように簡単には食べられなくなってしまいます。貴重な日本の食文化の一つが失われないように、人工的にも作れることを早く示していかなければならないのです。
  クロマグロは最大時速120キロものスピードで広大な海域を回遊するといわれる魚で、養殖は不可能だといわれていましたが、やってみると直系30m×深さ10m程度の生簀でも十分生きられることがわかりました。一番大きくなったものは15年で403・9キロ、約3mにまで成長しています。皮膚は非常に弱く、特に稚魚は手でつかむとそこから「腐ってくる」と俗にいわれるくらいシビアな取り扱いを要求されます。激しく共食いしますし、外洋にいる魚ですから降雨で泥水が流れ込んだだけで死んでしまうこともあります。周辺の光や音にも敏感に反応し、雷や花火大会などが近くであるとパニックを起こして生簀の壁にぶつかって死んでしまいます。このようなデリケートな魚を養殖するには、様々な工夫が必要です。生態自体がわかっていなかったので、それらの事態に遭遇するたびに、魚から学びながら対応してきました。


「海を耕す時代」

  当研究所には、本学初代総長である世耕弘一先生の「魚飼い」の精神、つまり社会貢献を目指す実学の精神が流れています。総長は終戦直後の1948年、「陸上の食料は限られている。今後は海を耕す時代だ」との考えから本研究所を設立しました。水産系の大学は日本に20くらいありますが、実際に魚を飼い産業規模の研究を行っているのは本学だけです。
  やはり現場の中にこそ一番学ぶべき内容があります。毎日魚を見てえさをやっていると群れの中の魚の特徴がみな分かってきて、一匹ずつ名前をつけたくなるくらいになります。私が48年の研究生活を通して学んだことは第一に「忍耐」、すなわち継続です。そして生き物に対する正確な「観察眼」。また、生き物ですからやはり「愛情」を注ぐことが必要です。魚は体調が悪くてもモノを言いませんので、人間がよく観察して異常に気付かなければ彼らは死んで抗議するしかありません。まさに一心同体のレベルに達することを目指してきました。それだけに、クロマグロの完全養殖に成功したときは、研究生活の中で最高の喜びを味わいました。地道に続けてきた苦労が実を結んだわけですが、これは研究者と技術者全員が現場主義に徹し、目標に向かって一致協力した賜物です。大学のトップも深い理解を示してくれました。卵が産まれず実験すらできない期間が11年もありましたが、第二代総長の世耕政隆先生は「生き物というものは時間がかかる。それぐらいであきらめないように」と勇気付けて下さいました。
  資金面では、マダイやヒラメなど20種類近い海産魚の養殖を実現していましたので、その販売収益をクロマグロの研究につぎ込むことができました。マダイに関しては選抜淘汰を繰り返して育種を続けた結果、通常の2倍の速さで成長する稚魚をつくることに成功し、供給量は一時、全国の3分の1に上りました。
  陸上の家畜は人間と有史以来の付き合いがあり、品種改良を重ねて今日のようになっています。魚の場合は淡水魚では1000年以上の歴史がありますが、海水魚はまだ50年ぐらいです。これから育種を重ねて「家魚」化することで、人間になついて飼いやすい魚が出てくることを期待しています。
  完全養殖は、天然の稚魚を減少させず、しかも養殖した魚を放流して資源を増強することができる新時代の漁業のあり方です。今後はさらに生存率を高め、ビジネスとして成立させて、内外の養殖業者に広めていきたいものです。