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ビニール傘(びにーるがさ)   

美智子皇后陛下が園遊会で使用

縁結GY全体HP

ピッコロ (12)HP
(写真提供/ホワイトローズ株式会社)

 ビニール傘とはその名の通りビニールを素材とする傘だ。魅力は何と言ってもその「透明性」で、傘を差していても周囲を確認できる使い勝手の良さとリーズナブルな価格で大人気となっている。最近では、大きくて頑丈な選挙演説用や小さく持ち運び便利で山ガール(登山などを趣味とする若い女性)から人気を集めるアウトドア用など、様々な場面でビニール傘が活躍している。園遊会で、多くの人が美智子皇后陛下の姿を拝見できるよう作られた「縁結」というビニール傘もある。ビニールに穴を開け、傘の内から風は抜けるが、外から雨は入らない「逆止弁」という技術を利用し、傘を持つ手首の負担を軽減させた。
 
 実は、このビニール傘を世界で最初に作ったのが、日本の「ホワイトローズ株式会社」だ。ホワイトローズの歴史は徳川幕府まで遡る。1721年に、甲斐の武田源勝政が江戸で刻みタバコの卸業「武田長五郎商店」を開いたのが始まりだ。木製の箱に刻みタバコを油紙で包んで保管していたのだが、その油紙で折畳み可能なレインコートを作ったのだ。それが人気を集め、雨具商に移行していった。レインコートは参勤交代時に使用された他、幕府に収めるようになった。
 
 ビニール傘の誕生は第二次世界大戦後。九代目の須藤三男前社長がシベリア抑留から1949年に帰国したものの、商売は同業他社に遅れをとってしまっていた。そこで差別化のために注目したのが、進駐軍が使っていた「ビニール」だったのだ。当時の傘の素材は一般的に綿だったが、綿は水を含みやすい上に色落ちしやすく、黒い傘を差せば白いワイシャツに滴が垂れて黒い水玉模様になることが当たり前の時代だった。そこで、傘にビニールを被せるカバーを発売し、大ヒットとなった。しかし、ナイロン等で出来た傘が普及すると、傘カバーのニーズが激減。そこで状況を打開するため開発した商品が「ビニール傘」だった。その利便性は今日の普及具合から明白だが、当時は販売することが出来ない状況だった。従来の布傘と競合するためだ。しかし、三男前社長は「いつか日本中をビニール傘で埋め尽くしたい」と大志を燃やし尽力した。
 
 そんなビニール傘が最初にヒットした場所は、実は日本ではなくアメリカだった。時は1964年の東京オリンピック。観光で来日していたアメリカ人の傘バイヤーが、ビニール傘に驚愕してホワイトローズを訪問する。寒くて風が強いNY仕様の傘を開発することになり、大人気となった。1960年代後半から日本でもミニスカートブームが起こり、それに合わせてビニール傘がファッション小物として注目を集め、ヒット商品となった。だが、その後の大量普及と価格競争の中で、ビニール傘の製造はコストが安い海外に移ってしまった。しかし、ホワイトローズが選挙演説やアウトドア用など消費者のニーズにマッチする商品を開発することで、ビニール傘の新しい可能性が広がっている。ホワイトローズの須藤宰社長は、「これこそ本物のビニール傘なのです」と話す。知恵と工夫が凝らされたビニール傘は奥が深い、「メイド・イン・ジャパン」の結晶なのだ。



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