Top向学新聞今月の人ファクリ ゴザリさん


ファクリ ゴザリさん (インドネシア出身) 
(東京工業大学) 


日本人の職人気質に学ぶ  福祉の平等さには驚き

――日本にきたきっかけは。
  私が選んだ専門は経営工学で、工場の管理などを学ぶ学問ですが、工場といえば一番進んでいる国がやはり日本だと思ったのです。外国に行って工場関係のことや一般的な工学について学びたければ、だいたいまずアメリカか日本に行くのですが、私は同じアジアなら文化があまり違わないだろうと思い日本を選びました。
  そういった前提がありましたが、直接のきっかけとなったのは、高校のときに応募した国費留学生の奨学金です。私がバンドン工科大学の学生になってから、受給者に選ばれたとの発表がありました。もし選ばれていなければ、日本への留学は不可能だったと思います。

――日本に来る前の日本へのイメージは。
  私は読書が好きで、古いですが夏目漱石などを読んで日本文化に対する良いイメージを持っていました。家族も日本に対しては良いイメージを持っていて、できれば行きたいなと思っていました。また日本は政治的・宗教的にはあまりうるさくなくて差別もない国ではないかと思いました。バリ島などインドネシアに観光に来るのは日本人が多いですが、日本人は他の国の人と比べるとみな丁寧で親切です。そしてビデオ、テレビ、時計などがほとんど日本製ですから、日本人はみなエリートで家も大きくてお金持ちなのかなと思っていました。

――日本に来てからわかったことは。
  現実にはエリートの人ばかりではなくて漁師や農民などもいるし、いわゆる庶民といわれる普通の人も大勢いることがわかりました。しかしびっくりしたのは、そういう人たちでも決して貧しいわけではなく、福祉が平等に行き届いているということです。インドネシアにはお金持ちもいますが、非常に貧しい人もいてその差はすごいです。日本では多分何か負債はあっても、飢えて食べられないほど貧しい人はいないのです。一般的なサービスが整っています。インドネシアでは年金も公務員や大会社に勤めていた人しかもらえません。また、インドネシアには地域ごとにいろいろな文化があり、特に私は全国から人が集まる首都に住んでいましたから、隣の人は大抵どこかからきた人という状況でした。でも日本は一民族として皆が一つにまとまっているという感じがします。日本に来て山形にホームステイしたことがありますが、田舎に行っても自動販売機などもあり都市の雰囲気が残っています。インドネシアでは地方に行けばもう文化から全然違います。偉そうに胸を張ってあごを上げて話すのが丁寧な話し方という地域もあります。

――日本留学は自分自身にどんな影響を与えましたか。
  日本人には、ただエリートを目指しお金持ちになろうとするよりは、いい仕事をしよう、いいものを作ろうとする職人気質があると思います。つまり仕事を通して何かに貢献するということです。日本に3年いると私自身もそういう考え方になってきました。それは宗教でも教えていることですが、インドネシアではそれが文化になるところまでは至っていません。400年間植民地として支配され苦労しても実らないことが多かったので、いい仕事をするよりも、できるだけ楽をしてお金をもうけるほうがいいとの考え方が根強いのです。しかし例えばお金持ちや偉い人になるということを目的として生きて、もしそうなれなかったらその人生は何なのかと疑問に思います。日本のもの作りを通して学んだ仕事に対する姿勢を、インドネシアの人たちにも伝えたいですね。

――日本人へのメッセージはありますか。
  今インドネシア国内での日本製品のシェアは、中国などの参入によって30%減少したといわれていますが、競争に勝ちたいなら、ぜひインドネシアをマーケットではなくパートナーとして考えて欲しいと思います。物を売るだけでなく、どんどん技術や知識をシェアして、互いに同盟体となって発展していければいいと思います。