衆議院議員 馳浩氏
特別インタビュー
「日本語教育推進基本法」の制定に向けて
超党派の議員で構成する「日本語教育推進議員連盟」が、「日本語教育推進基本法」の成立を目指している。法制化の背景について、同議員連盟事務局長の馳浩衆議院議員にお話を伺った。
法制化により日本語教育の基盤整備
教師の処遇改善も視野に
――「基本法」が必要な背景について。
我々が成立を目指しているのは、「国内外における日本語教育をさらに推進していくための基本法」です。日本が人口減少社会に入ったことや、生産年齢人口が減少の一途をたどっていることは疑いようのない事実です。今後労働力不足の問題が出てくる中で、外国人労働者をより受け入れていかざるを得ません。外国人の方が日本社会で働く機会を得ると同時に、生活する上で安心感を得られるような基盤を整備することが必要です。日本語教育は、そのための最大の基盤整備なのです。
もう一つの背景にはグローバル化があります。中国の「孔子学院」のような形で文化戦略を国家戦略としてとらえていく必要があります。海外における日本語教育は外交戦略の一つでもあり、世界の皆さんに日本文化を発信し、日本を理解して頂くための最大の基盤整備となります。
翻って我が国の日本語教育の現状を見るといくつかの課題があります。まず関係する省庁が多岐にわたり、基幹省庁が決まっていないこと。これは大きな問題です。現段階で確定していませんが、私は文科省と外務省が主管すべきであると考えています。
現在、海外における日本語教育は国際交流基金が知見の蓄積を持っており、国内では文化庁が教育政策の取りまとめをしています。しかし現場レベルでは、厚生労働省、経済産業省、総務省が技能研修生の受け入れに対し、いわば泥縄式で学校・指導者・教材の3点セットを備えてきているのが現状です。それは残念ながら統一された教育施策ではなく、一定の基準を国家資格として認定しているものでもありません。
現場第一主義では政策の継続性が脆弱です。日本語教育推進の総合的な政策をまとめたうえで、その政策にしたがって必要な財政上、法制上の措置をとっていく必要があります。教育を必要としている人に指導者・教材・場所の3点セットを適時適切に提供することについて、法律に基づいて、どこかの省庁が拠点となって必要な支援をしていく。そういう必要に迫られている現代社会なのです。
また、指導する人材の処遇改善も視野に入れています。これまで必要に迫られて学校を作り指導者を育成してきていますが、日本語教師には国家的な規格もないわけですから適切な処遇にないことが多いです。人材の供給体制を作るには日本語教師が社会的に確立された職業として認められる必要があり、そして教師の養成・資格付与・研修という3点セットが必要です。資格付与については国家資格制度、認定講習制度、単位制度など様々な形が想定されます。
教育内容については、日本の政治や経済を解説するようなハイレベルな日本語や、介護や看護など資格を取得するレベルの日本語の教育も必要になってくるでしょう。また、職場でのコミュニケーション能力については、必要とされる言語のレベルは企業の皆さんが分かっているわけですが、それがオーソライズされていないのが現状ではないでしょうか。働く方の日本語教育は企業の皆さんに任せきりにするようなものではないでしょう。外国人の方は一地域の住民になるわけですから、国が法律を定めて地方自治体と企業との連携を図ることは、ある意味で治安や安全の確保にもつながります。国と自治体が連携し、外国人集住都市なら公民館、企業、国際交流センターといった場所で一定のボリュームをもった教育機会を提供する必要があります。そして、そういった教育が行われている学校が全国に適切に配置されているかどうかにも配慮しなければいけません。
――自治体が自主的に行ってきた日本語教室を国が主導し整備するイメージですね。
はい。日本全国の小中学校の半数には日本語教育を必要とする児童生徒がいます。まずは外国人集住都市の拠点校で週に2回でも3回でもいいので教育を受けられる形が必要です。昨年に教育機会確保法が成立し、今後は夜間中学校がさらに設置されるようになっていきます。夜間中学校の在籍生は7割が外国人ですので、そこを通じて日本語教育を提供することも可能です。
このように一つ一つ丁寧に現状の日本語教育の提供体制を踏まえたうえで、それを後押しして現状をレベルアップするために、必要な財源を投資できるようにするような基本法にしたいと考えています。
――立法作業の状況はいかがですか。
現在、関係7省庁を集めて議論しており、法律案のひな型を各省庁に示して要求事項を盛り込んでもらっているところです。
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はせ・ひろし 自由民主党所属。1995年に参議院議員に当選して政界入りし、文部科学大臣(第20代)を務めた。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問会議・顧問。富山県小矢部市生まれ、石川県金沢市育ち。
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