Top>向学新聞>日本で働く留学生OBたち>カイリル・アドリさん
カイリル・アドリさん(マレーシア出身)
(ドリームエッジ株式会社)
憧れを持てる職場を作る
儲けるための会社ではない
私はデジタルプロセス株式会社(全製造業におけるエンジニアリング分野の企画・開発会社)に勤務するかたわら、個人でドリームエッジというIT系会社を設立・運営し業務を請け負っています。
ドリームエッジ設立メンバーは、私が職業能力開発大学1年の時(1977年)に出会った日本人の仲間たちで、彼らの中にはIT業界経験者もいます。彼らとはもう家族以上の間柄です。私は留学生時代から日本人の友人が困っていれば助けてあげたりしていました。自分を留学生として特別扱いしてほしくありませんでしたし、彼らを必要なときだけ友人扱いするのではなく、彼らにとっての体の一部になれるようにと心がけてきました。
仲間たちはかなり多彩な才能を持っているのですが、それを活かせる場がなかったので、自分が彼らの才能を発揮できる場を作っておけば、何らかのビジネスや彼らの自己実現に活かせるのではないかと考えました。従来の会社で嫌なことをやれといわれても良いものなどできない、逆に自分がしたいことをしろといわれれば寝食を忘れて死ぬほどがんばる、そのような仲間たちのパワーを活かすため、マレーシア、香港、日本でそれぞれドリームエッジを設立しました。
いっぽう、私が7年間勤務している会社には海外拠点がありませんでした。そこで私がマレーシアに立ち上げようと、半年間、毎晩帰宅後に計画を練り、200ページにおよぶ詳細な企画書をまとめました。直接社長に3回プレゼンし、「この企画書が通らなければやめる覚悟だ。ぜひ我々にやらせてほしい」と熱い思いで訴えたのです。この話には部長や課長、平社員までもが驚きましたが、私は「企画書を皆に流して判断して下さい。私を信用しないなら投資しなくてもいい!」と断言しました。結果的に計画は承認され、2008年1月には開所式が行われることになりました。オフィスは借り物ではなく、一から設計しました。毎朝起きて「ああ会社に行きたい」という気持ちが沸き起こるような、憧れを持てる職場を作るためです。ここには、海外でチャレンジしたい日本の若者を送ることも考えています。
私には、日本と母国の架け橋になりたいという確固たる思いがあるのです。政府派遣留学生だった私は留学後は母国で仕事に就かなければなりませんでした。しかし「架け橋」になりたいとの一心で直接政府と交渉し、「人を育てるビジョンがある。絶対に母国にも貢献できる」と訴えた結果、特別に許可を得て日本で働くことができるようになりました。
ドリームエッジは儲けるためではなく、人の思いを実現させるための会社です。メンバーは仕事や人間関係への情熱を持っています。例えばお客様に仕事を任されお金を頂いたのであれば、当然その分100%返さなければなりませんが、我々が目指しているのは少なくとも101%は返すということです。奉仕の精神を持ってお願いされないこともサービスすると、お客様の顔が変わるのです。まず社員のモチベーションややりがいを作り出していかなければなりません。すべては「志」の中身が関係してくるのです。
私は自分が得する人にだけ近づくようなことは好きではありません。お互いに協力するために助け合うことができれば、安定するのです。例えば今の留学生は、留学後に母国の日系企業に好待遇で就職したいからといって留学する人も多いのではないでしょうか。しかし日系企業で働きたければ日本とのやり取りが必須になりますので、1~2年は日本で働いてから母国に戻るべきです。日本での経験を母国の企業で活かして欲しいと思います。
日本の大学で社会人予備教育までは行えないのであれば、留学生が卒業後1~2年は日本企業で経験を積める制度を作れば、日本の労働力不足の解決にもつながり、彼らも帰国後には母国と日本との立派な架け橋となれるのですから、両国にとってWin―Winの関係を作れるでしょう。もし日本が留学生受け入れ大国を目指すなら、そのような制度を整えるべきではないでしょうか。