Top向学新聞今月の人トゥカアウンさん
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トゥカアウンさん  (ミャンマー出身) 
(国士舘大学21世紀アジア学部) 


単なる金銭的支援ではない奨学金  日本にいるだけで勉強に

――留学生活のなかで感じることは。
  実際のところ、私費留学生が勉学とアルバイトを立派に両立させ、学費も生活費もすべて自分でまかなうのはそう簡単なことではありません。奨学金だけに期待するのはいけないですが、私もアルバイトしながら生計を立てている一人で、支給していただいている奨 学金は本当にありがたく感じています。
 しかし日本の奨学金で一つ気になることは、採用基準が明確でない場合があることです。学校の成績が振るわなかった人が選ばれ、その人より好成績だったのに選ばれなかったという話もよく聞きます。もちろん支給基準は厳しくしても良いと思いますが、奨学金は単なる金銭的支援ではなく、勉学意欲の助長が本来の意味であるはずですので、選ばれなかった場合にはその理由を明確に示してくれれば改善点が分かり、本当のインセンティブになると思うのです。
  生活の中では、日本をもっと学ばなければならないということを感じます。せっかく日本に留学していながら社会に無関心であってはいけません。納豆などの日本食を一回も食べたことがないという人もいますが、日本から学ぼうとしない姿勢では日本がどんどんいやになってくると思います。私は日本にいるだけで勉強になります。母国から見れば日本は自由と人権が溢れすぎているように見えます。最初からそれがあることが当たり前で、有り難味がわからないのかもしれません。今も飢餓や内乱で多くの人が死んでいる地域がありますが、血が流れない限り振り向いてくれないのかと残念に思うこともあります。
  自由と人権には「責任」が伴うものであり、それらを享受する人々に責任を与えることは大事だと思います。ですから奨学金の選考時にも、一人一人との面接はやはり最低限必要なのではないかと思います。