Top向学新聞日本で働く留学生OBたち李 哲厚さん


李 哲厚さん(中国出身) 
(株式会社WEIC) 


ビジョンを持つことが必要
日本人と話すことで成長を

  私は2005年に日本の大学を卒業後、日本と中国との架け橋になろうと某日本企業に就職しました。当初は一生懸命仕事をしましたが日本の文化になじめず、考えに柔軟性がなかったのでよく喧嘩になったものです。経験を積むうちに「社会とはこういうものだ」とわかり、やめずに乗り越えるうちに本社人事部に転属になりました。先輩は口が悪いので苦労しましたが、将来的に一人前になれば悪く言う人はいなくなるだろうと真っ直ぐな気持ちで努力するうちに任せられるようになり、人事部の4人で日本人・留学生併せて145名を採用しました。そのうち留学生60人の就職ビザ申請を私一人でこなしましたが、60パターンの申請書を日本語で書くわけですから本当に大変でした。

――苦しいところをどうして乗り越えられたのでしょうか。

  目標がはっきりしていたので日本で結果を出したいという強い気持ちがあったのです。将来的には中国現地で中国人のマネージメントをしたいと思い、入社時の面接でも3年後にはそういうポジションについて、10年後には自分の会社を作り経営者として動いてみたいと話しました。
  もう一つは、とにかく「前向き」に考えることが大事です。何か言われるのは自分に欠点があるからで、反省し乗り越えなければならない大きな目標だと前向きにとらえる。乗り越えれば信頼され、逆に自分にものを頼むようになるだろうと考えました。仕事とは、トイレ掃除、採用、営業、何でも自分のプラスになることだと思います。将来の目標に近づくことができるようなプラス要素だと考えているのです。

――そういう発想を得たきっかけは?
  来日後、日本語学校の半年で日本語はペラペラになり、先生に信頼されお金をいただいて日本語学校の業務を手伝っていました。しかしそれで天狗になっていたのです。大学時代にコンビニでアルバイトして親しくなった2人の日本人から、天狗はなぜ通用しないのか、日本社会で生き延びるための理論的な知恵を教わり、それが社会に出て役立ちました。私がここまで来られたのは、そういう友人や、お世話になった日本人の方々のおかげです。
  以前採用の仕事をしていて感じたのですが、最近は、私はこうするという「ビジョン」を持っていない留学生が多いです。ただ語学ができても会社は採用してくれません。私は面接に来た就職希望者に「それではどこでも通用しないよ」とOBとして怒ったことさえあります。まず自分のビジョンをはっきりさせたうえで、アンテナを張り市場がどう動いているか先を読んで目標を絞ること。そして自分よりレベルが上の人と出会うことが重要です。できる人に負けないよう頑張り、助言を受けながらも自分で考え、どう成長していかなければならないのか考えるのです。
  留学生は同国人の群れとばかりいっしょにいる傾向がありますが、日本に来た以上は日本人とよくコミュニケーションするべきです。日本文化を知らなければ日本の会社では通用しません。私が二番目に勤めた会社では飛び込み営業で大変苦労しました。営業では気持ちをぶつけて攻めないと難しく、日本語で日本人に投資の説得をし交渉できるようなレベルにならなければいけないと思い、日本人以上の日本語を身につけようと決意しました。
  学校で勉強する日本語はあくまで基礎であって、日本人と具体的に接触し馴染んで初めて日本人とはこういうものだと学べるわけです。日本人は相手を傷つけまいとしてはっきり言わない傾向がありますが、その微妙な言い回しをどれだけ理解できるかが第一関門です。何年か働いてだいぶ考え方がわかってきたと思っても、自分の魂には母国の文化が残っています。話すことを通して日本文化に馴染んでいき、自分も相手も成長していく。そういう関係を自ら求めていくことが大切ではないでしょうか。