小辻 節三
(こつじ せつぞう)
「命のビザ」を引き継ぐ
ユダヤ教徒となった日本人 滞在期間延長に尽力
小辻節三は、杉原千畝の「命のビザ」を引き継いだ人物である。ユダヤ教を学ぶ学者であり、それ故に数多くの迫害を受けていた。自らの体験とユダヤ人の運命を重ね合わせて考えていたがゆえに、彼らの境遇は他人事ではなかった。彼らに深い同情を寄せながら、やがてユダヤ人の魂を宿すことになる。
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ユダヤ難民の窮地を救う
ナチスドイツに追われたユダヤ難民が、リトアニアの日本領事館に押しかけ、杉原千畝(領事代理)から日本通過のビザの発給を受けたことは、広く知られている。しかし、そのビザで許された日本滞在期間は10日間だけ。このままでは強制送還されてしまう。その窮地を救った人物が小辻節三であった。
小辻は1899年2月3日、京都に生まれた。父の名は喜三郎、京都の加茂神社の神官であった。母の名はフク子。小辻は5人兄妹の末っ子だった。神官であった父の影響で神道を学び、学校教育では武士道を学び、勇気、抑制心、死を恐れぬ心を身につけた。
小辻が13歳の時、人生の転機となる出来事が起きた。明治天皇の崩御(死去)に続き、乃木希典大将が殉死。世間は乃木の忠誠心、武士道的精神を称える論調で溢れていた。しかし、少年小辻は深い悩みに襲われた。「人は自ら命を絶つべきなのか?人は何のために生きるのか?」。武士道を行動規範に据えていただけに、悩みは深かった。
悩みながら街を彷徨っていた彼が、たまたま古本屋で目に止まったのが聖書である。これが運命的な出会いとなり、貪るように聖書を読み続けた。神道の家系に生まれた自分にとって、これは家族への裏切り行為ではないか。こんな罪悪感すら感じたという。
その後、父の反対を押し切り、明治学院大学神学部で学んだ。卒業後は、北海道旭川の教会に主任牧師として赴任。そこで生涯の伴侶となる美禰子と出会い、結婚する。牧師でありながら、彼はイエスは神であるとする教義に釈然としないものを感じていた。聖書をもう一度学び直したいと思い、アメリカ留学を決断。1927年7月、小辻は妻と長女とを伴ってアメリカに渡った。まずは旧約聖書の研究である。そのため、ヘブライ語の勉強を始め、その後、高名なバデー教授のいるパシフィック大学(カリフォルニア州)で学んだ。4年に及ぶ研究生活で、彼の関心はすっかりユダヤ教に変わってしまった。
満州へ
博士号を取得した小辻は帰国し、一時期青山学院で教壇に立つものの、病に倒れて辞職。7歳の長女の病死、妻の病気と不幸が続いた。1年後にようやく健康を取り戻した小辻は、銀座に「聖書原典研究所」を設け、そこでヘブライ語と聖書を教え始めた。しかし、ユダヤ教を快く思わない大学関係者や宗教関係者の嫌がらせで、その研究所もわずか3年で閉鎖に追い込まれてしまう。38歳にして初めて味わう屈辱に、彼は身を震わせて泣いた。その頃、ヨーロッパでは想像を絶するユダヤ人迫害が始まっていた。
1938年、南満州鉄道(満鉄)総裁から小辻のもとに一通の招聘状が届いた。「総裁のアドバイザーとして、満鉄で働いて欲しい」という。満州(中国の東北地方)には迫害から逃れたユダヤ人が数多くいる。自分の語学力と知識を役立てるとしたら、今しかないと決意。同年10月、家族と共に満州大連の地を踏んだ。
満鉄での仕事は調査部の顧問。満州のユダヤ人と満鉄とのパイプ役として、ユダヤ人が何を求めているかを調査し、それを総裁の松岡洋右に報告する。満州にいた約2年間で、彼は多くのユダヤ人と交流をし、ユダヤ人迫害の実態をより鮮明に知ることになった。彼は自伝で「ユダヤ人をより身近に感じるようになった」と述べている。迫害の末に満州に渡った自分とユダヤ民族の運命を重ね合わせていたのかもしれない。
ユダヤ難民を受け入れる
松岡の退任と共に、小辻も調査部顧問を辞任し日本に帰国した。ちょうどその頃、リトアニアの日本総領事館にユダヤ難民が押し寄せてきた。彼ら難民はポーランドからナチスに追われ、日本へのビザを求めていたのである。領事代理の杉原千畝は日本政府の意向を無視して、良心の命ずるままにビザを発給した。その数は6千人に及んだという。
ソ連極東の地ウラジオストックに到着したユダヤ難民は、そこから船に乗って、日本の福井県敦賀港に向かうことになっていた。しかし、日本の外務省は駐ウラジオストック日本総領事館に一つの通達を出していた。杉原の発給したビザによるユダヤ人には乗船を許可しないようにというもの。しかし、根井三郎総領事代理は、日本の公館が発給したビザを無効にすれば、国際的信頼を失うことになると言って、外務省の指示をはねつけた。彼もまた、ユダヤ人の境遇に深く同情を寄せた一人であった。
多くのユダヤ人は不安を抱えたまま、敦賀港に上陸した。しかし、敦賀の人々は、彼らを実に温かく迎え入れた。飢えた彼らのために民間から食糧の差し入れが届けられ、悪臭を放つ難民のために、銭湯屋の主人は一日休業にして、銭湯を開放した。敦賀の人々もまた、ユダヤ人の境遇に深く同情を寄せたのである。
難民のために奔走
ユダヤ人の多くは神戸に向かった。そこには、日本で唯一のユダヤ人のコミュニティがあったからである。彼らを最も悩ませたのは、滞在日数の問題だった。杉原ビザで許可された滞在日数はわずか10日。滞在期間の延長を行政に掛け合ってみるも、叶わない。
途方に暮れる中、一人のユダヤ人が満州にいたヘブライ語の達者な日本人のことを思い出した。そのユダヤ人はハルピンで開催された極東ユダヤ人大会に参加しており、その場で小辻節三によるヘブライ語のスピーチを聞いていた。彼は確信した。今の窮地を救ってくれる人は、小辻を置いて他にいない。彼は迷わず小辻に手紙を書いた。小辻は手紙を受け取るや否や列車に飛び乗り、ユダヤ難民たちの待つ神戸に向かったのである。「義を見てせざるは勇なきなり」の心境で、小辻は東京に戻り、外務省の管轄部署を回った。しかし全く耳を貸そうとしない。しかし、まだ打つ手がある。満鉄時代の総裁松岡洋右は、外務大臣になっていた。小辻は外務大臣室に飛び込んだ。松岡は小辻の話を聞きながら、苦悩の表情を浮かべた。大臣といえども軍部の意向を無視できない時代である。
松岡は言った。「一つだけ可能性がある。ビザ延長の権限は、神戸の自治体にある。君が自治体を動かすことができたら、外務省は見て見ぬふりをしよう。それは友人として約束する」。難民救済の道が見えてきた。「地獄で仏に会った」ようなものだった。
外国人の滞在許可を発行する窓口は警察署である。警察幹部の説得方法を考え抜いた末、一計を案じた。神戸一の料亭に彼らを招待し、最上級の接待をするのである。そのための軍資金を義兄から融通してもらい、神戸に戻った。接待は3回に及んだ。すっかりうち解け、仲良くなった3回目で、小辻は初めてユダヤ難民の窮状を訴え、滞在期間延長のお願いをし、何度も頭を下げた。警察幹部は小辻の要望を受け入れ、1回の申請で15日間ずつ延長することが決まった。申請を重ねれば、長期滞在も可能となったのである。
小辻の尽力はそれだけでは終わらなかった。ユダヤ難民を安全な国に送り出さなければならない。その船便の確保のため、神戸や横浜の港に足繁く通った。こうして、1941年秋には、ほぼ全員がアメリカ、カナダ、上海などに旅立つことができたのである。
イスラエルへ
しかし、小辻の人道主義に基づく一連の行動は、彼を悲劇へと追い込んでいく。戦時中、憲兵隊本部に呼び出しを受け、意識を失うほどの激しい拷問を加えられた。家族にすら危害が及ぶ懸念があったため、小辻は一家を引き連れ、終戦間近の1945年6月7日、満州に向かう船に乗った。満州にいるユダヤ人に自分の命を預けようとしたのである。満州に渡った2ヶ月後、ソ連は日ソ不可侵条約を破って侵攻。多くの日本人がシベリアに抑留されたが、小辻は連行を免れた。ユダヤ人の友人が彼ら一家を守り抜いたからである。ユダヤ人を命をかけて助けた小辻であったが、今度はユダヤ人から助けられたのである。
小辻の心にユダヤ教に改宗したいという思いが芽生え始めたのは、その頃からである。その願いが叶う時が来た。1959年8月9日、エルサレムに到着した小辻は、宗教審議会で審問後、割礼を受けた。ユダヤ教徒になったのである。その喜びに浸っていた彼に、さらなる喜びが待ち構えていた。小辻に助けられたユダヤ人が、謝恩会を開いてくれたのである。20年ぶりの再会であった。一人一人と握手し、肩を抱き合い、再会を喜び合った。ユダヤ人たちは口々に感謝の言葉を述べ、小辻の活躍を称えた。昔話は尽きず、一つ一つに涙を流し、そして笑った。主催者の一人が、「彼が自分の命を賭けて私たちを救い、導いてくれたことを私たちは生涯決して忘れはしない」と挨拶。万雷の拍手が鳴り響き、感極まった小辻の目からは、涙がこぼれ落ちた。苦しい日々が報われた瞬間であった。
1973年10月31日、74歳の小辻は家族に見守られて息を引き取った。「エルサレムで眠りたい」という遺言を遺して。しかし、当時イスラエルは第4次中東戦争の真っ直中。イスラエルとの連絡もままならない中、小辻のエルサレム埋葬に尽力してくれた人物がバルハフティク宗教大臣だった。彼は小辻に助けられた難民の一人であったのだ。
バルハフティク大臣は小辻の遺体を空港で出迎え、エルサレムの墓地に埋葬した。戦火の中、墓地には数百人もの人々が葬儀に集まった。バルハフティク大臣が弔辞を述べた。「小辻はいつも私たちに寄り添い、助けてくれて、出国するまで見守ってくれたのです。尊敬の念を持って、彼が愛したこの国に彼を迎え、聖なる場所に葬るため力添えをしました」。ユダヤ人の魂を持つに至った日本人小辻節三は今、エルサレムの墓地に眠っている。
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