Top向学新聞リアルVoice関西外語専門学校の皆さん>梅田 八月さん

梅田 八月さん 

関西外語専門学校 日本国籍


私は11年前日本に来ました

梅田 八月さん

梅田 八月さん

 私は11年前日本に来ました。

 当時中学生だった自分が日本に来て最初の数日間、もうすぐ学校生活が始まると思うと、やる気満々で何事に対しても新鮮でたまりませんでした。しかし、実際に学校に入った途端、新鮮な感覚も消え去り、そこには現実がありました。

 初めは日本語が分からなくて、そのままでは授業を受けられなかったので、学校の先生が中国語の通訳を呼んでくれました。そのおかげで授業が理解できるようになりましたが、同時に、コミュニケーションの難しさにも気づき始めました。

 ある日こんなことがありました。私はトイレに行きたかったのですが、場所が分かりませんでした。中国にいた頃は、人の前で話しづらいことがある場合、誰かを呼んでこっそり話すのが普通だったので、日本でも同じように、クラスメイト一人だけを呼んでどこにあるか聞こうとしたのですが、その瞬間なぜかクラスのみんなに笑われました。理由は今でもよくわかりませんが、笑われてすごく恥ずかしかったです。また、私が通っていた学校では外国人は私一人だけでしたので、私が動くたびに注目されていました。しかしそれだけではなかったです。一番傷ついたのは、普通は誰かに対して何か思うことがあっても、見えないところでいうことが多いと思いますが、みんなは私の顔を見ながら目の前で、ひそひそ話していました。女子トイレに閉じ込められていじめられたこともありました。私は一生懸命仲間に入ろうとしましたが、仲間外れにされました。こんな中学校の生活はすごく不便で苦労しました。自分にも自信がなくなり、だんだんと日本人との間に壁を感じ、人の前で話すことにも恐怖を感じるようになりました。

 私と同じような経験をした人は、他にもたくさんいると思います。日本人とコミュニケーションをとることも、人の前に立つことも、実は今でも少し苦手かもしれません。でも、その恐怖心に打ち勝つことが大切だと思います。そのためにはやはり、自分の言葉で、人の前で話せる機会を作ることが大切です。今回このような文章を書いてみたこともそのような一つの機会を作りたかったからです。うまく書けないかもしれないとか、自信がないとか考えずに、まずやってみることで自然に勇気や自信を持てるきっかけになるかもしれません。何事もチャレンジから始まると思います。

 そして、このような経験から、わたしも自分と同じ境遇の人たちに何かをしていきたい、という考えが生まれ、考えた末、将来通訳になろうと決意しました。日本と中国の架け橋になりたいからです。プロの通訳になるための知識を身につけ、幅広い経験を積みたいと思います。そして将来、いろいろな理由で中国から来た人たちが日本で、必要な時には通訳の支援を受け、支障なく生活していけるように、普通に暮らす人たちに全力を尽くしていきたいです。大きい力はなくても。小さなことから、自分にできる限りのことをやってあげたいです。ですので、生活者のための通訳になることが私の最終目標です。

記事へのご意見・ご感想


a:777 t:1 y:0